西郷隆盛 ー歴史トリビア TAKAMORI SAIGOー

鹿児島へのご旅行を検討中の皆さん! 西郷隆盛のことはご存じですよね?? えっ? あまりよくご存じでない?? 鹿児島から出た幕末のヒーロー・西郷隆盛は、同じく鹿児島出身の大久保利通、山口県出身の木戸孝允とならんで、「維新の三傑」の一人にあげられるほどのV.I.P.(最重要人物)なんですよ。鹿児島の旧家では、西郷隆盛が座右の銘とした「敬天愛人(けいてんあいじん)」という言葉を今でも額に入れて飾っているお宅があるほど、西郷隆盛は地元の誇りであり、シンボル的存在なんですね。それでは、鹿児島県人が愛してやまない「せごどん」(鹿児島弁で「西郷さん」)の魅力を皆さんだけにそっとお教えいたしますね。

◆西郷さんって、どんな人??

鹿児島市の城山に立つ銅像の写真を使ってご紹介します。
 


・四角い顔に、クリッとした大きな目

当時、親交のあったイギリス人外交官アーネスト・サトウの記録によると、「黒いダイヤのように光る大きな目玉」の持ち主だったとか。髪型は「坊主頭」というイメージがありますが、旧幕府軍と戦った戊辰戦争の頃まではきちんと髷を結っていました。西郷家の長男ですから、お城に上がるには身だしなみが大切だったんですね。ちなみに坊主頭にしたのは、戊辰戦争で弟の吉二郎を亡くしたのがきっかけともいわれています。
 

・気は優しくて、力持ち

西郷さんは子どもの頃からとにかく身体が大きくて、腕っぷしも強かったそうです。また仲間思いで、まわりの友達からは慕われていましたがある時、別の少年グル―プとケンカをして、相手をコテンパンにやっつけてしまいました。のちに、やられた相手が復讐をしようと突然後ろから斬りつけてきたため、右腕を負傷。傷は深く、自由に刀を振れなくなってしまいました。「強い薩摩武士になりたい」という夢を抱いていた西郷少年にとっては、相当ショックな出来事だったでしょうね。
 

・あだ名は「ウドサァ」=鹿児島弁で大きい人

身長は179cm、体重は108kgぐらいあったといわれているので、日本人の平均身長が155cmぐらいだった当時としては巨人ですね。ウナギが好物で、しかも大食漢だったため、おなか周りがどんどん大きくなって、その解消にと医師から狩りを勧められていたそうです。狩りのお供をしたのは、東京・上野の銅像姿でも一緒にいる猟犬。実際、犬は大好きで、東京の自宅では10匹以上飼っていたそうです。
 

◆西郷さんって、何をした人なの?

ところで西郷さんは、どうしてヒーローになったの? そんな疑問をお持ちの方もいるかもしれませんね。
一言でいうと、江戸の幕府を倒して、新しい世の中をつくろうと考えていた人たちの連合軍を率い、大活躍をしたからです。当時の日本は、それまで250年くらい続いていた江戸幕府の力が弱くなり、外国から大砲を載せた軍艦もやってくるようになって、平和な世の中を保てなくなるんじゃないかと多くの人が不安になっていました。そこで頭のいい人たちがいろんな知恵を出したり、血の気の多い若者は刀を振り回したりしていたわけですが、みんな「オレが、オレが!」といってケンカばかりしていたので、不安はさらに大きくなっていたんですね。そこへ「一緒に新しいニッポンをつくろうよ!」と団結をうながしたのが土佐出身の坂本龍馬で、手を取り合ったのが薩摩藩代表の西郷さんと長州藩代表の木戸孝允でした。薩摩と長州、この二大勢力の軍隊をまとめ、抵抗する幕府軍を追いつめた、その先頭に立っていたのが西郷さんなんです。幕府の本拠地・江戸城を攻めた時には、幕府方の勝海舟と話し合って江戸の町を戦火から救ったという慈悲深いエピソードがあるところも、西郷さんが真のヒーローたるゆえんでしょうね。

※画像:維新ふるさと館(鹿児島市)
幕末の歴史って、よくわからない。そんな方におすすめなのが「維新ふるさと館」。映像などで、幕末から明治維新までの流れを解りやすく説明してくれます。

◆西郷さんはなぜ、みんなに人気があるの?

   



つらい経験を乗り越えた人には、強さがありますね。西郷さんも「自分にはまだやり残した使命があるから、天によって命を助けられたのだ。天が自分を生かしてくれているうちは、愛する家族のため、鹿児島のため、そして日本のために命をかけて働かなければならない」と、奄美の青い海を見ながら悟りました。その後の人生は、いつも「世のため、人のため」へと向けられ、一国を動かす大きなエネルギーを産み出したのです。

西郷南洲流謫跡(龍郷町)

西郷南洲流謫跡(龍郷町)-1

奄美大島での西郷さんの暮らしぶりがしのばれる住居跡。美しい自然と、島民たちの優しさにふれた西郷さんは、島の娘・愛加那(あいかな)と結婚して、菊次郎と菊子という二人の子どもをもうけました。

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◆あの人が見た西郷さん

西郷さんの人としての大きな器は同時代を生きた他のヒーローたちの言葉からもうかがい知ることができます。ここではその一部をご紹介しましょう。
 

・西郷は、薩摩の貴重な宝物。ただし、独立心が強いので私以外に使いこなせる者はいない。BY 島津斉 彬

幕末一の名君として幕府側からも絶賛されていた薩摩藩11代藩主・島津斉彬は、身分の低かった西郷さんの才能を見抜き、秘書にまで取り立ててかわいがっていました。美しき師弟愛です。
 

・俺が今まで会った人のなかで、怖いと思った二人のうちの一人が西郷。 BY 勝海舟

坂本龍馬の師匠として知られる勝海舟は、当時、幕府側の軍艦奉行を務めていましたが、江戸城無血開城のときを含めて2度ほど、西郷さんと対面しています。「怖い」というのは、どういう意味でしょうか? 巨人の西郷さんににらまれたから??
 

・鐘のような人物。大きく打てば、大きく響く。小さく打てば、小さく響く。 BY 坂本龍馬

このあと龍馬は、「自分の鐘木が小さかった…」と続けていますが、いやいやご謙遜でしょう。後に西郷さんを怒鳴りつけて、見事、薩長同盟を成し遂げましたからね!
 

◆西郷さんはどうして、悲しい最期をとげたの?

西郷さんの座右の銘は「敬天愛人」。

天を敬い、人を愛し続けるということです。自分のことを慕ってくる人がいるかぎり、その人たちのために尽くして、死ぬなら本望。それが天命であるという生き方を貫きとおしたのが、西郷隆盛という人なんです。
 



 

星になった西郷さん

星になった西郷さん-1

明治10(1877)年9月、西南戦争で西郷さんが最期の戦いを迎えようとしていた時、夜空にひときわ輝く星が現れました。これはその頃、地球に接近していた火星だったのですが、この明るい星のなかに「西郷さんの姿が見える!」という噂が立ち、「西郷星」と呼ばれて大騒ぎになりました。噂はどんどんヒートアップしていき、西郷さんの死後も「インドにいる」「いや、中国に渡った」とか、「ロシアで生きていて、ニコライとともに来日する」などと新聞等でも話題になるなど、人気者ぶりを大いに発揮しました。

※写真提供:鹿児島県立図書館

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※当ページは一定の調査を元に制作をしておりますが、歴史認識と人物評価には多様な考え方があるため、異なる認識をお持ちの場合にはご了承ください。

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