高橋川左岸の土地を造成し、水車小屋や倉庫、休憩施設など22棟を建設。水車が設置され、高橋川の豊富な水を動力源として火薬を製造していました。敷根火薬製造所の設計にはイギリス人技師・ウォートルスが関わり、最新式のタービン水車などが導入されたと考えられています。原料には硫黄島や霧島の硫黄、谷山作硝局の硝石などを使用。1873年には海軍省の所管となるも、西南戦争が始まると政府軍は3月に軍艦春日を敷根に派遣して工場を焼き払わせました。翌年には技術者らは目黒火薬製造所に招かれます。発掘調査では水車跡や水路、石垣、石臼が発見されました。
産業遺産情報
建設年代 | 文久3年(1863) |
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土地所有者・管理者 | 民有地 |
標柱・説明版 | 標柱,説明板あり |
地表遺構の有無 | 耕作地,山林の一部に石垣、水路、水車跡等が残っています。 |
見学の際の留意事項 | 草が茂り水路が見えにくくなっており、踏み外しやすくなっている箇所があります。見学の際は足元に注意してください。 |
基本情報
住所 | 鹿児島県霧島市国分敷根 |
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電話番号 | 0995-64-0708(霧島市社会教育課) |
交通アクセス | JR国分駅から車で約15分 |
駐車場 | 無し |
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