島津斉彬が軍事演習を指揮した陣屋跡一帯は、天保山調練場と呼ばれていました。ここでは騎兵や砲兵などの訓練を実施。1858年、次期将軍に徳川慶福(後の家茂)を推す彦根藩主・井伊直弼が大老に就任し、一橋家の徳川慶喜を推していた斉彬等一橋派の敗北が決定的となりました。斉彬は事態打開を図るため藩兵3,000名を率いて上洛を決意します。そして同年7月8日、ここで城下の各隊を集めて大演習を行いました。その直後、斉彬は体調を崩して7月16日に急死します。
産業遺産情報
建設年代 | 未詳 |
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土地所有者・管理者 | 鹿児島市 |
標柱・説明版 | 標柱,説明板有り |
地表遺構の有無 | 遺構は確認されておらず、標柱が立てられています。現在は天保山中学校となっています。 |
見学の際の留意事項 | ・天保山中学校内にあるため、中学校内部には許可がなければ入ることはできません。道路側から確認できる位置に標柱及び説明板が設置されています。 |
基本情報
住所 | 鹿児島県鹿児島市下荒田2丁目31-15(天保山中学校内) |
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電話番号 | 099-227-1962(鹿児島市教育委員会) |
交通アクセス | 鹿児島市営バス「天保山」バス停下車徒歩1分 |
駐車場 | 無し |
ホームページ | 明治維新とかごしまみて歩きHP |