千眼寺は禅宗の一派である黄檗宗の寺です。1805年、島津重豪が荒田村から現在地に移築したといわれています。薩英戦争が勃発した際には、海に近い鹿児島城がイギリス軍の大砲の射程圏内となるため、海から離れた千眼寺に本陣が置かれました。そして、島津久光、忠義親子がここから藩士たちの指揮を執りました。
産業遺産情報
建設年代 | 文化2年(1805)(千眼寺を、島津家25代当主重豪が荒田村から現在地に移した年) |
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土地所有者・管理者 | 民有地 |
標柱・説明版 | 標柱,説明板有り |
地表遺構の有無 | 慶応2年以降の廃仏毀釈によって寺は壊され、現在は一般の住宅となっています。遺構はほぼ残っておらず、庭に井戸や智福和尚の石像が残るのみです。家の前には、標柱が立てられています。 |
見学の際の留意事項 | ・住宅の敷地内に井戸や智福和尚の石像がありますが、敷地内は立ち入り禁止です。 |
基本情報
住所 | 鹿児島県鹿児島市常盤町2丁目4-5付近 |
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電話番号 | 099-227-1962(鹿児島市教育委員会) |
交通アクセス | 南国交通バス「西田小学校前」バス停下車徒歩5分 |
駐車場 | 無し |
ホームページ | 明治維新とかごしまみて歩きHP |