明治初年に薩摩藩が設置した火薬庫は、廃藩置県後に陸軍の所管になりました。征韓論争に敗れた西郷隆盛が帰郷後、鹿児島は次第に反政府的雰囲気に。すると鹿児島にある大量の弾薬、スナイドル銃弾が危険なものと見なされるように。1877年1月、明治政府は武器弾薬を輸送船へと積み込もうと試みましたが、私学校生徒が激怒します。1月29日の夜に火薬庫の1棟を襲撃の上、破壊して弾薬6万発を強奪。残った火薬庫も翌日には襲撃されました。事態の収拾が不可能とみた西郷隆盛は、2月15日に熊本へ出兵し西南戦争がはじまりました。
産業遺産情報
建設年代 | 幕末~明治 |
---|---|
土地所有者・管理者 | 鹿児島市 |
標柱・説明版 | 標柱,説明板有り |
地表遺構の有無 | 遺構はなく市営草牟田墓地の入口に石碑があり、約200m東方の火薬庫跡にも石碑があります。 |
見学の際の留意事項 | 火薬庫はこの碑より100m高台に3棟設置されていました。 |
基本情報
住所 | 鹿児島県鹿児島市草牟田1丁目9-26付近 |
---|---|
電話番号 | 099-227-1962(鹿児島市教育委員会) |
交通アクセス | 鹿児島市営バス「草牟田」バス停下車徒歩4分 |
駐車場 | 無し |
ホームページ | 明治維新とかごしまみて歩きHP |