薩摩藩は、鹿児島市唐湊に火薬製造所を設け、人力で火薬を製造していました。しかし、たびたび事故が起きたため、1818~1830年頃、新たに稲荷川の近くに滝之上火薬製造所を設置。水車を用いて火薬製造を始めました。1849年には製造法をヨーロッパ式にして、火薬を製造するように。維新後は陸軍の所管となり、1877年に西南戦争がはじまると西郷軍が火薬・弾薬製造に利用しました。同年3月、鹿児島に来航した海軍兵が弾薬製造器械を搬出、さらに陸軍部隊が砲撃を加えて爆破・炎上。水路跡や頑丈な石壁などが残っていましたが、平成5年の鹿児島大水害に伴う工事でその大半が姿を消しました。
産業遺産情報
建設年代 | 嘉永5年(1852) |
---|---|
土地所有者・管理者 | 鹿児島県 |
標柱・説明版 | 無し |
地表遺構の有無 | 滝之上火薬製造所跡の石垣が一部残っています。 |
見学の際の留意事項 | ・滝之上火薬製造所跡までの道は整備された公道ではなく、幅員狭小で車のすれ違いが困難であるため、移動の際は注意が必要です。 |
基本情報
住所 | 鹿児島県鹿児島市稲荷町滝之上排水処理場付近 |
---|---|
電話番号 | 099-227-1962(鹿児島市教育委員会) |
交通アクセス | 南国交通バス「稲荷町」バス停下車徒歩10分 |
駐車場 | 無し |
ホームページ | 尚古集成館HP |