1857年、蘭学者の松木弘安(寺島宗則)、中原猶介は、鹿児島城本丸と二ノ丸庭園探勝園の間に電線を引き、電信実験に成功しました。実験成功後は、地雷や水雷の起爆装置に電気技術を応用。市来四郎は仙巌園で地雷の爆破実験をしたときの様子を「電気装置で通電したところ、(爆薬が)激しく爆発し振動で山々が揺れた」と書き残しています。また、電信実験に携わった寺島宗則は、電信の重要さを感じて、維新後に国内の電信網の整備や万国電信条約への加盟に尽力しました。現在探勝園は公園として整備され、電信使用の地碑が建てられています。
産業遺産情報
建設年代 | 安政4年(1857) |
---|---|
土地所有者・管理者 | 鹿児島市 |
標柱・説明版 | 標柱有り |
地表遺構の有無 | 当時の電線等は現存していませんが、探勝園跡は公園化され、標柱が立てられてます。 |
基本情報
住所 | 鹿児島県鹿児島市照国町19(探勝園内) |
---|---|
電話番号 | 099-227-1962(鹿児島市教育委員会) |
交通アクセス | JR鹿児島中央駅から徒歩で20分 鹿児島市電「天文館通」電停下車徒歩5分 バス「天文館」バス停下車徒歩5分 |
駐車場 | 有り(照国神社駐車場、戊辰駐車場) |
ホームページ | 明治維新とかごしまみて歩き |