[薩南海岸県立自然公園] 歴史散策コース
- 所要時間|1日
- 交通手段|車
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平和祈念展望台
#わだつみの会
車で約7分
明治蔵
#歴史の蔵
100年以上使い続けたかめ壷で今でも焼酎を造っており、本格焼酎がづくり製法が確立された明治末期の風情と匠の息吹を今に伝えます。仕込みの時期には杜氏をはじめとるす職人集団が昔ながらの焼酎づくりを営み、目の前で体感できます。試飲も充実しており、ここだけのオリジナル焼酎の飲み比べができます。
蔵見学はスタッフが案内する15分程度のコースと、自由見学コースがあります。詳しくは公式サイトをご覧ください。
蔵見学はスタッフが案内する15分程度のコースと、自由見学コースがあります。詳しくは公式サイトをご覧ください。
住所 | 鹿児島県枕崎市立神本町26 | |
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電話番号 | 0120-467-355 | |
営業時間 | 9:00~16:00 | |
休日 | 12/31~1/1 |
車で約25分
知覧特攻平和会館
#平和を願って
知覧(現南九州市)は第二次世界大戦末期、沖縄戦の劣勢を一挙に挽回するため、人類史上類のない特攻作戦が展開されたゆかりの地であります。
この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
これらの史実を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するものです。二度と悲劇が繰り返されぬよう、戦争の悲惨さ、平和・命の尊さを教えてくれます。
この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
これらの史実を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するものです。二度と悲劇が繰り返されぬよう、戦争の悲惨さ、平和・命の尊さを教えてくれます。
住所 | 〒897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡17881 | |
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電話番号 | 0993-83-2525 | |
営業時間 | 9:00~17:00(入館16:30まで) | |
休日 | 無休 |
車で約5分
知覧武家屋敷群
#薩摩の麓
領主島津久峯が、藩主の参勤交代に伴って江戸から戻る道中で接した京の文化を持ち帰ったとされる。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、また同時に国の「名勝」に指定された7つの庭園は、母ヶ岳を借景に、築山泉水式1つ、枯山水式6つの庭園。約270年前の当時(江戸時代)の感性を今に伝える。
住所 | 鹿児島県南九州市知覧町郡13731-1 | |
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電話番号 | 0993-58-7878(知覧武家屋敷庭園事務所) | |
営業時間 | 9:00~17:00 | |
休日 | 年中無休 |
車で約35分
枚聞神社
#薩摩一の宮
860年従四位に位された大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)ほか8柱を祀っています。古くから交通・航海の安全や、漁業守護の神として人々の厚い信仰を集めてきました。薩摩一の宮といわれるように島津藩主の崇敬も厚く、本殿は県の重要文化財にも指定されています。優雅なたたずまいの朱塗りの社殿は、周囲の木々の緑に映えて見事です。玉手筥あるいはあけずの箱と呼ばれる「松梅蒔絵櫛笥」は国の重要文化財に指定されています。そのほか、琉球から伝わった額や島津家に関係する古文書など、貴重な品々があります。
住所 | 鹿児島県指宿市開聞十町1366 | |
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電話番号 | 0993-32-2007 |
車で約25分
篤姫ゆかりの地
#大奥
宝暦4(1754)年、今和泉島津家としては初代となる島津忠郷が建てる。忠郷は当主となったとき、わすか3歳。そのため初めの執務期間は、鹿児島の大磯館(磯地区)であった。つまりその忠郷が領地の初入部となる際に、別邸が設けられたことになる。忠郷は宝暦4年の4月6日から29日まで、この別邸に滞在し、約半年後である11月13日には、わずか13歳で亡くなることになる。
現在その別邸は、今和泉小学校に変わっている。小学校内には、屋敷で使用されていた高さが93cmもある手水鉢や井戸跡が保存されている。また近年までは屋敷の庭にあったクロガネモチも健在であったが、平成7年には枯れてしまい、その切り株は校舎内に保存されている。
このほか海岸側には、当時を偲ばせてくれる隼人松原と呼ばれる松並木や防波堤の役割をもつ石垣なども残っている。 篤姫の父である島津忠剛の時代である弘化元(1844)年には、当時の家老調所広郷によって別邸付近を通過する街道(谷山筋)の本格的開削が行われたが、その際今和泉島津家は協力している。
また嘉永6(1853)年には島津斉彬の命により、別邸前の海岸に台場が築かれたが、現在その場所を特定することはできない。
(文章・画像などの無断転載、二次利用をお断りします/観光かごしま大キャンペーン推進協議会)
現在その別邸は、今和泉小学校に変わっている。小学校内には、屋敷で使用されていた高さが93cmもある手水鉢や井戸跡が保存されている。また近年までは屋敷の庭にあったクロガネモチも健在であったが、平成7年には枯れてしまい、その切り株は校舎内に保存されている。
このほか海岸側には、当時を偲ばせてくれる隼人松原と呼ばれる松並木や防波堤の役割をもつ石垣なども残っている。 篤姫の父である島津忠剛の時代である弘化元(1844)年には、当時の家老調所広郷によって別邸付近を通過する街道(谷山筋)の本格的開削が行われたが、その際今和泉島津家は協力している。
また嘉永6(1853)年には島津斉彬の命により、別邸前の海岸に台場が築かれたが、現在その場所を特定することはできない。
(文章・画像などの無断転載、二次利用をお断りします/観光かごしま大キャンペーン推進協議会)
住所 | 鹿児島県指宿市岩本2976 | |
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電話番号 | 0993-22-3257(指宿市観光協会) |
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